(回想 新春 石垣島・沖縄本島の旅2024(2024年1月1日) 【3日目:石垣島で初日の出・那覇フライト/石川・富山で大地震発生、緊急帰宅手配・福岡フライト編】はこちら)
スーパーで自助分食料買い出しも、空港から再び戻って再調達
福岡空港から小松空港へ
2024年1月2日、福岡の朝。おはようございます。
昨日の大地震で緊急帰宅の決断、予定外の福岡での宿泊。
ちょい早起き、ホテルのレストランで朝食をいただく。
レストランのTVでは、さっそく現地の映像が入っている。
震源に近い能登・石川、富山、新潟と少しずつ状況も見えてきたが、やはり相当な被害状況。
朝食を終えて、買い出しにホテル裏のスーパーマーケットへ。
24時間営業で元日も営業。本当にありがたい。
7:38 スーパーで買い出し |
小松到着後に自宅に帰るまでの道路状況も現時点でははっきりしていないし、何時間かかるかもわからない。
まずは自助分として自宅に帰るまでの昼食・夕食分としてのパンやおにぎりを購入する。
ほか、自宅で1,2日分の簡易な食料をリュックに入る程度に購入。幸いコメは倉庫に売るほどあるのでなんとかなる。
これぐらい買えばいいかな。
LINEには安否確認できる機能が登場 自ら発信する「異常なし報告」大事です |
8:06 ホテルを出発、地下鉄乗車 |
フライトの約3時間前に福岡空港到着。
カウンターに立ち寄って運航状況、早発の臨時便計画の有無について確認。
とりあえず今のところは予定どおり。
東京で足止めとなったフォロワーさんが先行して小松空港に到着する模様。こちらの運航状況も注視しておきたい。大きな余震がなければいいが…。
とはいえマイフライトまでやることがないので…展望デッキでも行きますかね。
こんなとき、慌てても仕方ありません。
降機時にクルーのみなさんにご挨拶。
12:18、小松空港到着。
災害対応に役立つ佐々淳行氏の危機管理の言葉と「後藤田五訓」
8:24 初めて来ました、新展望デッキ 昔は狭い檻みたいな場所だったけど今は開放的 |
沖縄滞在のみを想定していたため衣類は薄手、福岡の朝は寒い。
カフェに入ってドリンク一杯、アイス抹茶ラテだけど。(冷)
その間も各所から連絡が入る。
昨日立山駅で足止めになっていた社員は富山駅までバス振替が行われて富山市内の友人宅に宿泊、今日の帰宅のめどはついた模様。
一方、家族や親戚、社員から
「近所のスーパーが損傷を受けている、販売を行うかは不明」
「水が出ない。コンビニには物が並んでいないし、かなり混雑・行列している」
「水が濁っていて飲料用水が確保できない、会社の井戸水は使えそう」
「ガソリンの給油制限が行われている」
などの情報が届く。
こんな時は「何が出来る誰を知っているか」が大事、行きつけのコンビニの姉さんに状況を確認。
「朝からとにかくお客が途切れないし、モノは入ってこない。先の計画もわからないし、何か買ってきたほうがいいかもよ。あー忙しい!」と生の現場情報。
また急遽法事になってしまった親戚も「買い物に行く暇がなくて…買い出しできないとなるとお通夜・葬儀までの自家消費分の食料が足りないかも」と、特殊事情も発生している。
帰宅するまでの自助分・リュックに入る程度の買い出しは朝までに済ませているが、急遽の食材買い出しに切り替える。
9時過ぎ、空港から再び地下鉄に乗車し1駅、朝立ち寄ったスーパーSUNNYに戻る。
乾麺・レトルト・カレールーなど、依頼された物資を購入、大きめの段ボール1箱分。7,000円ぐらい。
幸いにも福岡に地震の影響はなく平時。買い占めにはならないと思うが念のためレジのお姉さんに断りを入れガムテープを使わせもらうも「今から石川・富山へ?店のもの全部買っていいよ!」と励ましの言葉。
ありがとう。でも全部買ったら飛行機飛ばないわw
9:45 買い出しを終えて再び空港へ |
空港に戻り、段ボール箱を預けて搭乗ゲートへ。
予定通り飛んでくれそうだが…ゲート近くのNHK-TVから緊急地震速報音。
自然と画面前に集まる搭乗客。
まだまだ余震には最大限の警戒が必要、当然ながら最初の震度・マグニチュードを上回る余震の可能性もある。
一方、能登の親戚は…被災地ながらも、合間を見て大学駅伝応援で盛り上がっているそう。
こんなときこそ、こういう楽しみ必要なんです。
10:19 緊急地震速報がTVから鳴動 みんな画面前に自然と集まる |
10:42 バスで機側に到着 |
コックピットにはウエルカムボードの掲出 このフライトを待ってたYO! |
1/2 NH1234 FUK-KMQ DHC-8-400 JA845A |
機内はほぼ満席。
被災地へのフライトも通常通り、いつも通りのサービス。
こういうときの平静な感じ、ちょっと緊張もほぐれる。
ネット通信用WI-FIはないけど…むしろそんな時間が貴重。ドリンク飲んで窓の外を見る余裕、大事です。
鳥取空港&鳥取砂丘 まもなく小松アプローチのシーケンス |
ANA WINGSのカレンダー配布も いい年にするぞ |
RWY24のライトダウンウインドから基地エプロンを見る 自衛隊のヘリコプターが集結している模様 |
小松の海岸線と北陸自動車道 地震の影響で通行止め、車両の走行は見られない |
12:14 小松飛行場着陸 機内からエプロンを見ると防災ヘリが集結する様子が見えた |
東京消防庁か、大型ヘリも到着の様子 手前には福岡便に使われているハズの機材が駐機、 なぜここに…地震による機体影響を確認中なのかしら |
小松空港に到着 冬の北陸、雲一つない青空なのが救い VFRでヘリが出動できる |
降機時にクルーのみなさんにご挨拶。
「飛ばしてくれてありがとうございます。これほど待ち遠しかったフライトはなかったです。さっさと片づけてまた乗りますよ。」
降りると機長も手を振ってくれる。ありがとうございました。
予約センター、カウンター、クルーのみなさんには本当お世話になりました。
またホテルやレンタカーのスタッフ、スーパーの店員さんなど、富山へ帰る私に温かい言葉をかけていただき、本当にうれしかった。
今回も、忘れられない旅になりそうです。
自衛隊エプロンに海上保安庁のヘリも よろしく頼みます |
12:18、小松空港到着。
駐車場の車に震災の影響はなさそう。
帰り道はカーナビ・Googleナビの指示どおりに。
純正ナビの場合、災害発生時は純正ナビ搭載車が通行できた道を通信回線で集約・表示してくれていて、すでに表示が災害モードになっている。
Googleナビも同様、車両が通れている経路を優先して案内。
ガソリンタンクは約6割の表示。
地元富山では給油制限が一部で行われていると家族から報告あり。
小松市内で念のため満タンに。少し混雑がみられるが給油制限はいまのところなし。
小松からの北陸自動車道は通行止め、今回は国道8号線で富山を目指す。
途中、一宮ナンバーのKDDI移動基地局と並走したり、緊急消防援助隊岐阜県隊が金沢市内に入るところを目撃。防災ヘリコプターも金沢競馬場で離着陸しているようだ。
ラジオからも各所から消防・警察・自衛隊・海上保安庁の救難・救助隊が続々と集結しているのが聞き取れる。
そして夕方、特段の交通支障なく無事に自宅に到着となった。
災害対応に役立つ佐々淳行氏の危機管理の言葉と「後藤田五訓」
初代内閣官房安全保障室長の佐々淳行氏の著書の中に、佐々氏の言葉・行動として災害時にも役立つものがある。今回もこれらが自らの行動の指針となってくれた。
- 平時には悲観的に準備し、非常時には楽観的に対処せよ
(コップに半分の水がある場合、平時には「もう半分しかない」、非常時には「まだ半分ある」と考える意図的楽観論) - 「異常なしの報告」を自ら発信せよ
「便りがないのは良い便り」ではダメ、不安や心配になる。平時から異常なし報告を。 - 「念のため報告」を積極的に行え
既知の情報でも「報告ありがとう」と言おう
また佐々氏も著書でよく語った、政治家・後藤田正晴氏が警察庁長官だったときの言葉「後藤田五訓」も有名だ。
一、省益を忘れ、国益を想え二、悪い本当の事実を報告せよ三、勇気を以って意見具申せよ四、自分の仕事でないと言うなかれ五、決定が下ったら従い、命令は実行せよ
これ自体は国政・行政にかかわる者に対して示された訓示だが、災害時や非常時にも応用できる言葉だと思う。
倒れた石灯籠 地震に耐えられないレガシー遺産に御用無 |
今回、震度5強となった我が家の被害は石灯籠が複数倒れたり棚から物が落ちる程度で済んだ。井戸水の濁りは10日ほど続いたが、水が出ないよりはマシだ。
会社も点検や整備に1日かかったが、改めて危険個所が判明した所は早急に改善や装備の増強を行った。
偶然にも古い建屋の掃出し建具窓が「これ地震が来たら開かなくなるか倒れる可能性もあるから思い切って更新しよう」と、年末の12月28日にサッシ窓に交換する工事を行っていた。「工事は来年でもいいよ」なんて言っていたが、年末駆け込みの工事に助けられた。
施工してくれたガラス屋さんへ年始の挨拶に行くと「今回の地震で壊れてるの、あのタイプの古い窓ばっかり。もう2日から仕事してても追いつかないわ。」との事だ。
また「見た目は劣るが備えようや」と平時に自宅の家具や事務所の書庫・キャビネットに耐震補強の突っ張り棒やズレ止め加工をしておいたが、今回見事にその役割をはたしてくれた。自宅のTVも事前にすべて固定していたため落下はなかった。
ただ唯一、冷蔵庫にその処置をしておらず震度5強の揺れで相当傾いていたと母上。早急に転倒防止措置を行った。
日頃防災訓練等で映像収録を行うことが多いが、そういった場所で行われる防災体験や展示を活かせたと思う。
他方、石川・能登や富山の西部北地域の一部では甚大な被害が生じており、恩納村の海で描いていた最悪の被害状況であるのは間違いない。
いとこの親友家族が、今回の震災で助からなかったとの辛い報告もあった。
復旧も始まったばかり、復興はまだまだ時間がかかる。
北陸に住む人間として、自分に何ができるのか。
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
微力だが、被災地のみなさんの力になりたいと思う。
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